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サラ・コナー・クロニクルズ オリジナル サントラ OST

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まわし蹴りはジャッキー・チェンより高さがあるサマー・グローのセレニティー Serenity..TV→映画復活例。ジョシュ・ウェドン作↓
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Terminator TVシリーズ2 第3話まで +未公開シーン動画セカンドシーズン第4〜13話 未公開映像シーズン2第14〜22話最終
シーズン2第1〜3話+第4〜13話+第14〜22話最終章
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原発の攻防:テクノロジーは運命ではない-No Fate
福島原発にて命をかけた攻防が続いている。まるで「ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ(TSCC)」のごとく。TSCCシーズン2第2話↓
セラノポイント 原子力発電所をめぐる攻防
アビラ ビーチの戦い セラノ・ポイント
もちろん、TSCCはフィクションであり、原発の攻防といってもその種も性質も異なるが、日本人含めた人類の今後がかかっていることに変わりはない。
サラ・コナー 除染後の放射能検査
除染後の放射能検査・・・サラ・コナーと同じ恐怖に我々は今、直面している。
「運命に翻弄され暴走するテクノロジー(スカイネット)」が勝つか、
ターミネーターと原子力発電所
「人類の英知&協働するテクノロジー(サイボーグレジスタンス)」が勝つか、
ターミネーター キャメロンの名物ドツキ
一進一退の決死の攻防が続く。
キャメロンと原子力発電所
被曝を覚悟して使用済み核燃料保管庫を通り、 サラコナーと被爆
キャメロンのバックアップに向かうサラ・コナー。
福島の原発の最前線で放射能と格闘している有志と同じである。
水蒸気とサラ・コナー
なぜサラ・コナーはそこまでして戦うのか。
それは息子ジョン・コナーのため・・・というよりも、(サラ・コナーの意志如何を問うことなく)サラ・コナーの双肩に人類の未来がかかってしまっているからである。誰かが今やらねば、さらに悪い結果が後々自分が愛する者にまで降り掛かってきてしまう。そもそもターミネーターという作品の本質は何か。T1、T2をふり返ってみよう。
■T1の主人公は誰だったか?
→サラ・コナーである。戦士ではなく、普通の人間、普通の女性、普通の大学生であったサラ・コナーに突然降りかかってきた災難が描かれていた。では、
■T2の主人公は誰だったか?
→やはりサラ・コナーなのである。これはT2の映画の冒頭とエンディングのナレーションがサラ・コナーであることからもわかる。「ふつうの一女性なのに・・・」「普通の一母親なのに・・・」という思いがある反面、「人類の未来」という重荷を背負わされることになったことでの強迫観念に迫られた葛藤がサラ・コナーの狂気性にうまく描かれていた。
未来での危機を過去(現代)に使者をつかわして未来の危機を過去(現代)で解決させてしまった。それがそもそもターミネーター(T1,T2)という作品である。その意味でもジョン・コナーは「救世主」と言える。そして必ずしも未来での勝利に固執する必要はなく、ジェームズ・キャメロンが「T2でターミネーターは完結している。」といっている通りである。
→[ジェームズ・キャメロン インタビュー]
そしてあくまで「ターミネーター・フランチャイズ」の主人公はサラ・コナーなのである。わかりやすく例えれば、同じくジェームズ・キャメロンが監督した「エイリアン2」とT1-T2の構成は同じ。エイリアン2では子供ニュート(キャリー・ヘン)がリプリーの母性と怒りの起爆剤となった。ターミネーターではジョン・コナーがサラ・コナーの母性と怒りの起爆剤となった、といった構成。
→[史上最高の続編映画 1位:エイリアン2/3位:T2]
T1-T2と2作品にまたがり、また、時空もまたいでいるために少々わかりにくくなっているだけで、「親子間の愛(母性の賞揚)・人間の絆といった「人間の本質」が問題を解決していく」・・・それがターミネーターという作品の本質であり、大ヒットのランキング上位に名を連ねている映画のすべてに、この「人間の本質」という骨格がしっかりと見受けられるものである。
T3,T4はその辺りがよくわかっておらず、「過去に語られた未来を再現すること」ばかりに終始してしまったため、T3等は不評と失敗に終わった。
人類の象徴 サラ・コナー
T2をよくみている人は気付いているはずだが、サラ・コナーがこの時見ていたものは・・・実は(ジョン・コナーでなく)・・・
サラ・コナーが見ていたもの
エンリケの家族と一緒に暮らす人々。つまり、他人の家族=人類。当初、サラ・コナーらはこのままメキシコ国境を超えて避難し、翌日エンリケらとメキシコ側で落ち合う予定だったことはT2のエンリケのセリフにもある。しかし、サラ・コナーはこの時、自分の子(ジョン・コナー)だけでなく、人類のために決起した瞬間がこのシーンに集約されていた。
“No Fate”&Knife with Sarah Connor, T2(左)とTSCC(右)S2第13話
T2とTSCCのサラ・コナー
No Fate=定まった運命(fate)は、ない(No)・・・自ら創りだすもの。
なぜなら自分の子供だけを救っても、結局、人間は一人では生きていけない、人類全体を救わないと、結局、自分の子供(ジョン・コナー)の生存さえも危うくなる・・・という人間の生存の本質がそこにあるからである。わかりやすく例えれば、無人島で一人生き残っても、子孫は残せない。男一人女一人の「対」で無人島にいてもやがて種は途絶えてしまう。だから人間は大多数の多様性の中で他人と助け合っていかなければ、結局、生きていけない、というメッセージがT2にはこめられており、そのことが上のナイフのシーンとなる。
人間に限らず、あらゆる動植物が「己の遺伝子を後世に残すという自己利益」だけでなく、「自分達が属する種の保存」のために助け合って生きている。
キャサリンウィーバー持論
ウツボと液体金属などでキャサリン・ウィーバーが指摘しているように、「パニックに陥りやすい/正確性に欠ける」といった弱点が人間にはある反面、サイボーグ・レジスタンスが一目置いている この人間のsacrifice(自己犠牲や愛)といったものがテクノロジー(スカイネット)の暴走を打ち負かす人類の最強の武器となる。今まさに日本でおこなわれていることである。
地球は動いている←TSCCシーズン2第3話
Cameron: Moving. The east by southeast section of the house is moving.Down. At a rate of .93 millimeters per year.(家の東南東のセクションが年に0.93mm下降してる。)→[サラ・コナーの家]
元々46億年以上も前から常に動き続けている地盤の上に「生きさせていただいている」我々人類ではあるが、2011年3月11日に起きた東北・関東大震災は日本列島を240cm強移動させ(場所によっては観測史上最大の5m以上歪めている)、地球の回転軸をもずらし、1日を1.8マイクロ秒短縮するほど強烈な質量とエネルギーを持ったものだった。
こうした人類の予測不能な、想像を絶する巨大な質量とエネルギーこそがまさに命を委ね、従うしかない運命と呼ぶに値するものかもしれないが、その運命によって二次的・副次的に発生したテクノロジーの破損・暴走、つまり原発の放射能漏れは別次元の問題であり、解決できない不可変な「運命」などでは決してない。
テクノロジーは抑制化
テクノロジーというのは結局、基本は人間が生み出したものであり、「テクノロジーが生み出す質量とエネルギー」は大地震などの「地球が生み出した質量とエネルギー」に比べれば圧倒的に小さい。ゆえに今回の原発の放射能漏れの問題も100%必ず収束に向かう。
ターミネーターがいれば・・・
原発の破損により生じた質量とエネルギーと同等かそれ以上の質量とエネルギー(=労力や技術、時間など)を積み重ねた時、惨事は自動的に収束する。その前線で決死の覚悟で戦っている人がいる限り。
As far as we fight, No Fate, What we make Colt M4A1
我々から見れば、原発内及びその周辺で戦っている人たちが「最前線」ではあるが、国際社会からみれば、我々日本人全員が「最前線」で戦っている人間であり、国際社会は固唾を呑んで今、「日本」を見守っている。人類及びそのテクノロジーの未来は我々日本人にかかっている。
人間はストレスに弱い
我々日本人一人ひとりが最低限できることは、まずは情報収集に努め、冷静に論理的な思考を保つよう心掛け、パニックにならないことである。パニックや過度な感情の起伏は、自身をますます損な状況に追い込む。パニックの元凶は概ね「観念論」である。観念論とは、1つの事象(唯物論)に対して「悲しい」「楽しい」「ヤバイ」・・・といった「〜〜い」で終わる形容詞で代表されるような「感情の味付け(人工着色料/人工調味料のようなもの)」であり、その味付け具合はその人が置かれている社会的存在によって十人十色である(=社会的存在により意識は規定される=人間は環境により規定される入れ物である)。
例えば、通常、人はエレベーターに対して特に何も感じないが、人によってはエレベーターを「狭い・恐い」と感じ、閉所恐怖症になってパニックに陥ったりする。過度に観念に流されて1つの事実に偏った味付けをしてしまうとマズイ料理ができてしまう。観念論は人々を豊かにもするが、不幸にもする。概ね不幸に陥っている人間は思考に観念が占める割合が高い。大切なのはそのバランスである。観念論:唯物論=50:50 に常に保つようにしておけば、どんな困難にも対応できるようになる。「観念論と唯物論という相対する考え方がある」ということ知っておくだけでもよい。
「テクノロジーによって引き起こされた運命は変えられない、人間は核(放射能)を浴びろ」とした「ターミネーター3」(T3)という変な映画があったが、まず、テクノロジーは運命ではない。
前述のように、今回の大地震のような「地球や宇宙が引き起こす事象の質量とエネルギー」に比べれば、「核や原発などのテクノロジーがもたらす質量とエネルギー」は運命と呼ぶにはあまりに小さく、人間が対応可能な可変なものである。その意味でもT3という映画はまったくもって無知な人間によって作られた魂なき残念な商業映画だということがわかる。テクノロジーによってもたらされる「審判の日」は決して定まったものではなく、可変なものである。
さらに、そもそもT1,T2のライン上においてカイル・リースをまた過去に送れば1984年はカイル・リースだらけになってしまう/カイル・リースの質量はもう1984年に移動し存在している/ジョン・コナーという質量ももう存在している、つまりT1,T2の延長線上で「過去に語られた未来」の再現はまったく不要。せっかくジェームズ・キャメロンはT2にて、まったく白紙のキャンバスを用意してくれたのだから「もっと自由な発想でターミネーター・フランチャイズを展開させていけばよい」という簡単な事実さえも気付かず袋小路な方向へストーリーを展開させてしまったために続編を作りづらくしてしまい、かつターミネーターという資産価値そのものをT3は破壊してしまった。「雇われサラリーマン監督」が付け焼刃で製作するとこんな作品になってしまう、という典型例がT3である。
恐竜 vs ほ乳類『恐竜 vs ほ乳類』
パワー(巨大化)や武器の内包を断捨離して、脳のみを発達することで進化を遂げた人間。必要なパワーや武器はその都度、外注することにした、元々、環境利用能力/適応能力が高いのが人間である。
→[恐竜と時間]
1.【人間の適応能力】:
震災で親族を亡くされたり、避難している方々も大変だと思うが、どうか ご自身が持っている能力と他者を信じて、そして人間が本来もっている能力を信じて戦ってほしい。人間は元々環境に応じて変化できる高い順応力を持っている(観念論的な言い方をすれば「天は乗り越えられる困難しか人間に与えない」とも言う)。例えば事故で利き手である右手を失ったとしても、左手で字を書けるようになったりする。地球46億年の歴史の中でもその環境に応じて姿形をあたかも液体金属のごとく変化させて今に至っているのが人間でもある。
2.【時間が持つエネルギー】:
時間というものも相当なエネルギーを持っているものであり、時間も問題の解決を援助してくれる。
地球環境の物理学3.【悲しみ は未来へのエネルギーへ転化できる】:
震災で亡くなられた方についても必要以上に悲しむ必要はない。我々は46億年という気の遠くなるような時間軸の中で、ほんの一瞬だけ人間という形に宿っているだけであり、我々を形成している要素(原子など)は全宇宙(または地球)の循環リサイクルの過程で、元々は人間以外の物や生物に属していたものが人間を形成し、そしてまた人間以外の物や生物に属していくものである。例えばあなたの骨を形成しているカルシウムは前は乳牛に属していたのかもしれないし、牛の前は植物に属していたかもしれない。震災の前と後では地球上の質量とエネルギーの総和は同じである。つまり質量保存の法則でいえば、地球及び全宇宙の質量とエネルギーは昔から同じであり、すべての質量は同い年であり、輪廻転生していくのである。亡くなられた方も消えてしまったわけでなく、ただ人間という形をしていないだけで、その質量(及びエネルギー)は永遠とこの宇宙の中に存在し続けているので悲しむ必要もない。常に我々と共にいるのである。そして「悲しい」という感覚は観念論にすぎない。車はガソリンという燃料がなければ動かないが、人間は「悲しみ」を未来へ力強く生きていくための燃料へ転化できる能力をも持ち合わせている。


“No Fate, What You Make.”
人生にベストはなく、正答は1つではない。人生とは選択の連続であり、「地球や宇宙によって与えられた運命」によりもたらされる「二次的に発生する数々の事象」の選択肢の中で、いかにめげずにベターな選択(道)を取り続けていけるか/取り続けることができるか、で結果としてベストな道を歩んだことになるものである。

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ザ・ガバネーター The Governator >><< 2011年3月アーノルド・シュワルツェネッガーの弁
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